2006年 02月 08日
ラーメンの欠片(かけら)夏休み中の出来事で最も印象に残ったこと。
幼稚園児の息子と近所を散歩中、
「○○ちゃん、来てごらん」
と息子を呼ぶ声。
そこは、私が子供の頃駄菓子屋をやっていた家で、今ではお婆さんが一人で暮らしています。
小学校の近くなので、よく学校帰りにお菓子やアイスを買って帰ったものでした。
あの頃は「おばさん」の年齢なんて気にしていませんでしたが、30年前の「おばさん」だから、今は70歳くらいなのかな。
呼びかけに、どうしたものかと私の顔を見上げる息子。
「行ってみよう」と息子の手を引いてドアを開けました。
「お父さんと散歩かい、いいねぇ」と、座ったままお尻と手を使って玄関まで移動してきたお婆さん。察するに、膝が悪くて立ち上がるのが辛いから、そんなふうにして動いてきた、という様子でした。
「お小遣いあげるからね」と千円札を息子に渡そうとするので、遠慮しましたが、それでも渡そうとするので、何度か辞退した後、最終的には500円を貰いました。
帰り道、お金を手に興奮気味の息子とは対照的に私は少し悲しい気持ちでした。
玄関を開けてすぐのところに台所があったのですが、
インスタントラーメンの、たぶん袋から麺を出したときにこぼれた欠片(かけら)が床にたくさん落ちていたのが見えたから。
それを見たとき、「老人の独り暮らし」の寂しさ・わびしさが、ひとつの現実として実感されたから。
床に散らばったインスタントラーメンの欠片…
そういう食事をしているということ。
1回でそんなにこぼれるはずがないくらいの量であったこと。
それらが片づけられずにあること。
子供の頃その店で買い物をしたときのことが思い出されて
寂しいような悲しいような気持ちになりました。
「なぁ、貰ったお小遣いでお婆さんにジュース買ってってあげようか」
「いいけど。でもムシキングもやりたいなぁ」
「ムシキングやっても、いっぱい余るから買ってってあげようね」
数日後、ヨーグルトを買って息子と持っていきました。
そして、それより高いくらいのパンとお菓子を貰って来ました。