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日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

言葉にする

長いこと放置してしまった。
2ヶ月も更新しなかった。

調べてみると、この期間も1日10件前後のアクセスがあったようだ。
書いている自分でさえ見ることもなく放っておいたのに、時折訪問してくれる人がいたというのは嬉しいものだ。
だが、彼らは直接面識のない人、ということを考えると、気にしてもらっているのは自分という存在ではなく、あくまでこのブログということになる。

素直に喜んでいいのか…?

大いに喜ぼうと思う。ブログだって自分だ。自分の一部がブログだ。
いや、拡大した自分がブログなのか。
書きためられた記事を振り返るとき、それは確かに自分が創出したものなのだけれど、逆にその中に自分が存在しているような感覚を覚える。記憶は自分の一部だけれど、記憶の中に自分が存在している……そんな感覚と等しいだろうか。

さて、この期間なぜ書かなかったか?

仕事が忙しい。
それもある。

だが、それは真の理由ではない。

真の理由(大袈裟な表現だな)は、ブログどころではないほど、他のことに心を奪われていたからだ。
そして、本当にブログに書きたいことがあるとすれば、そのことを置いて他にはなかった。
だが、それは決して書けないことでもある。

書きたいことが書けない。
それでも文章を書くとするならば……文章を書く意味はどこにあるのだろう。
いや、そもそも自分は何のためにこのブログを書いて来たんだ?

記録? 自分の記録ならブログとして発表する必要はない。忘れたくないことくらいは覚えていられる。

伝達? 何を自分は伝えたがっているのか。あるいは誰に? そもそも伝えるべきことなど持っているのか?

整理? 文章化は理性的な作業だ。だから、文章化することで未分化な感情を整理できる。だが、それは未分化ゆえに持ち得たエネルギーを喪失することでもある。

わからない。

だが、私が確信を持って言える理由があるとすれば、それは「懺悔」だ。
まだ書いてはいない、でも、いつかは書きたい記事がある。20代の頃の記憶だ。未だに解決することも、消化することも、忘却することもできていない、「痛い」思い出。
キリスト教徒が神の前で罪を告白し、許しを請うように、私も文章化することで許しを請いたいのだ。
何に向かって告白し、何によって許されたいのかはわからない。
だが、言葉にすることの「働き」「理由」が「懺悔」にあることは、私にとってだけでなく、おそらく全ての人間にとって真実なのではないか、と思う。
人は、許されたくて「話し」「書く」のだろう。

          * * *

4月22日、教え子の結婚披露宴に招待された。
そのときのメッセージカード。
夫婦の間でこそ「言葉にすること」は大切。話すことが許されたいということなら、話さないことは相手に対する謙虚さや思いやりを失ったことに他ならないから。

自戒を込めて。

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by usagi-kani | 2007-05-25 06:02 | 写真・文章