2007年 01月 14日
東京タワー同じ場所にいて違うものを見ているのと
どちらが孤独なのだろう?
離れていても
同じものを見ていると信じられる人と
同じものを見られないと知っていながらも
一緒にいたいと思わせる人と
どちらに恋をするのだろう?
信じられること。
これに尽きるんじゃないでしょうか?
そんな次元でつながり合えれば、孤独感には襲われない・・・と。
でも~kazemachiさんの<意志>論は適切。
僕の論理は<恋>からは、些か外れているのかも知れません。
つい最近映画を観ました。
原作もすかさず。氷点と違って読みやすい(笑)
知らない内に信じさせられちゃってる場合ってありますね。
信じさせてくれる相手に巡り会えない人は不幸だと思います。
信じる、という表現がよくなかったかな? 感じられる、でよかったか。
「ああ、この人、自分と同じものを見てる(=価値観が同じ)」と感じる瞬間ってありますよね。それが恋のきっかけになることもあると思います。
私はどんな人間も孤独を抱えているものだと思っています。
だからこそ、何かを信じようとするし、恋もするのでしょう。
満たされている人間は恋もしないと思うのですが。
そして、信じても、恋しても、その孤独感は埋めきれない。だから、迷うのではないでしょうか。
映画「東京タワー」の黒木瞳と男の子が別々の場所から東京タワーを見るシーンから思い浮かんだので、題名にしてみました。
一緒にいてやすらぐけれど、価値観が違うから、付き合ったり結婚したりしてもすぐに冷めてしまうかな、と思ってしまうことがありますよね。恋がある程度冷静に見られるようになった頃ですが。
同じ価値観を持つと言うことが、恋愛・結婚の場合にどれくらいの意味を持つのかな、と思って書いた詩(文章)です。
(いや、最近の東京タワーとちょっと結びつかなかったもので?と思ってました。)
一緒にいたいと思って、
一緒にいても、違うものを見てると気がついたときは、
悲しいですね。(はなれているよりさみしい?)
でも、一緒にいたいと思うのが恋なのかもしれません。
理屈じゃないの恋は…
まあ、昔の話です。
一緒にいたい、のほうが恋ですかね。そもそも価値観が同じだ~と感じても、一緒にいたいと思わない場合もありますものね。考えてみれば確かにそうだ!