2006年 11月 17日
朝食も学校で?木曜日の朝自習は、新聞記事を読ませて、その感想を書くという課題内容である。
先週の課題になったのは、「朝食も学校給食で提供する」ことについて賛成の立場と反対の立場から述べた新聞記事である。
朝食も給食で、だって? 随分馬鹿なことを考える人がいるんだなぁ……というのが私の感想であった。
多くの生徒も同感だろうと思っていた。
ところが、提出された感想を読むと、圧倒的に賛成派が多いのである!
それで、全く予想外の結果に驚くことになったのだ。
自分の感覚がおかしいのか、生徒たちの感覚がおかしいのか。
その判断材料としてネットで関係する記述を探してみた。
そうしたら……やはり賛成派が多いのである。7対3くらいだろうか。
社会の感覚からずれているのは自分のほうであった。
少々のショックもあったが、やはり驚きが大きい。
日本が、「朝食を学校給食にする」ことに賛同する人が多数を占める国に「なった」こと、あるいはそういう国「であった」のか。それに対する驚きである。
意外だったと驚いてばかりでも仕方がない。
とりあえず私の思うところをまとめてみる。
■朝食はそこまでして食べないといけないものなのか
朝食の重要性は私も十分認識しているつもりだ。
実際、保護者を前に「規則正しい生活の確立と、脳のエネルギーを補給して学習に集中できるようにするため、必ず朝食を食べさせて欲しい」と話をしたこともある。
だから、朝食は「食べた方がよい」のは間違いないと思っている。
だが、学校給食にしてまで「食べなければいけない」ものなのか。
朝食を抜いたからって別に死にはしない。
正直なことを言えば、その人のライフスタイルくらいに考えていい問題だと思っている。
「健康のため」というなら、現代人の生活はそんなに健康的なものばかりなのか。
朝食を抜くより不健康なことをいくつもしているのではないか。
朝食を学校給食にすることで失われることも確実にある。
その家庭の文化の継承、登校前の子どもの健康チェック、親子のコミュニケーション等々。朝食はそんな機能も果たしているのだ。
それらと引き替えにしても「食べ(させ)なければならない」ほどのものなのか。
「~したほうがよい」と「~しなければならない」の間の距離はとてつもなく遠かったはず。
それがいつの間にか「イコール」で結ばれてしまっている。
そんな気がする。
■子ども(人間)に必要なものは何なのか
カラダのことだけを考えるなら、確かに「栄養のバランスのとれた学校給食」は理想的だろう。
だが、「栄養に(多少)偏りがある(としても)母親の手料理」のほうを子どもは必要としているのではないだろうか。
たとえ虐待を受けても実の親と一緒にいることを求めてしまうように……。
そんな、理屈では割り切れないココロを抱えているのが人間である。
カラダに必要なものだけを考えてココロに必要なものを見失う……そんなことになりはしないか。
そんな危惧もある。
■学校はどこまで引き受ければいいのか
家庭の教育力が低下した、という声。それに対応して、本来家庭でやるべきことを学校は引き受けてきた。
それが必要なことであったのは認めるとしても、学校がやってくれるから、とますます家庭の教育力が低下するという悪循環に陥っていることも否定できないだろう。
朝食を食べさせない家庭があるから、あるいは、食べさせても栄養に配慮していないから、学校給食で食べさせてしまおう。
その発想を延長させていくと……。
夕食も、孤食ではかわいそうだし、社会性を養うことにもなるから学校給食にしてしまおう。
家庭だと夜更かししてしまうから、学校で寝泊まりするようにしてしまおう。
そんなことになりかねない。
行き着くところは、学校が家庭になるしかないのだろうか。
親は子どもを産んで、後は学校に預けてしまう。そして、気が向いたとき面会に行く、なんて社会になるかも。
これは笑い話ではない。現在の流れを延長すればそうなるのが自然。
これを笑い話と思う人に問いたい、「じゃあ、この流れはどこで止まるのですか?」
「学校の家庭化」はもうこのへんで止めようよ!
<「学校の家庭化」はもうこのへんで止めようよ!>私も思います。
お昼の給食も、希望する家だけが食べればいいとさえ思います。
文句言う人、給食費払える能力あっても払えない人はお好きにどうぞ
…ただ、朝食については、食べたくても食べさせてやれない家が多いのが現状です。せめて、義務教育の間ぐらいは、(それ以上は自己責任でしてください。)そういうのを提供してくれる場があったらなと思います。(学校でということではありません。福祉のほうになるのかな?)
もちろん、「朝食も学校給食で提供する」は反対です。できるだけ家庭の責任でしてほしいです。でも、できない家庭があるのが現状でして…
学校では、みんなで同じことをする大切さを。
私は学んだと思っています。
朝食や夕食は、その家庭の事情によってどんなメニューであれ、またヌキであれ、その個人個人のライフスタイルでいいのではないでしょうか。
朝食を作ってもらえない子供を「可哀想」と思うのは、そう思う人の価値観であって、本人やその家庭が給食にまでして食べたい、食べさせたいと思っているかは疑問です。
「よけいなお世話」です。
いろいろな事情の家庭があり、辛さも楽しさもまちまちである、ということを認識することが大事ではないでしょうか。
昼食は、私はお弁当ではなく給食に賛成です。
みんなで同じ時間に同じメニューをいただく。
「同じ釜のメシ」を食うことで、その準備や後片付けも含めて、単に食べること以上のものを得られるのではないかと思います。
違うこと、同じこと、ひとりでいること、みんなでいること、それら両方を教えて、それぞれの欠点や美点を知ってこそ、各々の良さがより強く認識できるのではと思います。
学校って今 スゴイことになってるんですね・・
私は正直 面倒臭いなぁ が感想です
朝の給食を果たす為に早起きしなきゃならないんでしょ?
その分寝ていたいです 睡眠程滋養になるもんはないと勝手に昔から思い体感しているので・・
後 自分の家の食事が旨いと思ってる子供がいたらどうすんでしょうか
私はですが 朝は食欲ほとんどありません まさに子供の頃から
腹がへったら食べるでいいと思っています
ですから昼の給食は楽しみでした
丁度その頃空腹になるんです 個人差や家庭の事情もあるんでしょうが う〜んです
そこまでお膳立てしなければならないのでしょうか?
まったくです。
このままの流れでいけば、少子化対策として、国からお見合いパーティもお膳立てされるようになるのでしょうか。
しかし3割のマイノリティさんたちが、ここには集まったということですね(笑)。
TVのない家はさすがにないでしょうが、PCのない家、カメラのない家はうちの生徒たちにも珍しくないです。そんな家庭ごとの違いのひとつに、朝食を食べないがあってもいいような気がします。
全部が横並びである必要はないはず。栄養状態が良すぎる子もいれば、少々悪い子もいる、それでいいと思うんですが。もちろん生命にかかわるようではまずいですけどね。
maron415さんのブログも拝見させていただきました。リンクさせていただきました。これからもよろしくお願いします。
すでに朝食を提供している学校もある(必ずしも食べなくてはいけないというわけではないようですが)ということです。ただ、効果があったということになれば、そのうち全ての学校で全員に食べさせることにもなりかねません。
朝、食欲がない人もいるわけで、そういう人にとってはある意味「イジメ」ですよね。
この流れで、国主催のお見合いパーティから、子作り講座までおこなわれるかもしれませんね。ちょっと参加してみたい気も(笑)。
さて、私がちょっと関係している大学では学食で朝食ポイント制というのをはじめました。つまり朝食を摂ることでポイントをもらえて、何かに使えるわけです。基本的に摂る摂らないは自由で、でも摂った方がいいよ的に勧めているわけですね。方法としては悪くないと思います。
ただ、本来それは家庭の仕事であるべきと私は思います。親が、例えば私のようにカミさんが、、、などいろいろです。それを学校がしなければならないという状況を危惧します。私の身内はかなりの数が教員をしていて学校現場のことはそれなりに知っています。その話を元に思うことは、家庭の力が本当に弱まっているというか、親が無責任になっていると思います。無責任だからこそ何かあったら全部学校のせいにしてしまうのでしょうね。
そもそも朝食給食化に賛成・反対というのがおかしな気がします。だって賛成派の中には、家で作らなくていいからラッキーという意見が相当数入っているはずですから。家庭の手抜きを正当化できるアンケートにはあまり意味がないように思います。
>賛成派の中には、家で作らなくていいからラッキーという意見が相当数入っているはずですから。
そうですよね。だから、夕食も学校で、というアンケートをとったら、これまた賛成が多いと思うんですよ。部活動で帰宅が8時過ぎの生徒が相当数いるわけで、親としては9時頃に食事の準備・後片付けをすることになるので、「学校で食べてきてくれたら楽だなぁ」と思っているんじゃないかと。
朝食は食べなければならないって流れになってきてるようで、本人の自由はどこにあるの?って気がします。