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日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

現代文の相対主義は超えられるか

今年の夏、予備校のセミナーに参加した。
非常に刺激を受け、もっと文章を読み解く力をつけなければいけないと痛感した。
是非このブログにも記しておきたいと思っていたが、新たに文章を起こす余裕はないので、学校に提出した報告書を以てそれに代えたい。


■講座名:『入試現代文 解釈・解答の相対主義は越えられるか』

■講座の概要
 (唯一絶対の解答がないという意味での)現代文の相対主義には多くの国語科教員が悩まされるところであるが、その解決は可能なのだろうか。
 講師は、相対主義が生まれるのは現代文を「解法」で解こうとするからだと言う。現代文には数学の公式のような絶対的な「解き方」などないのにそれを求めるから、個人差が出てしまう。現代文にあるのは「読み方」だけである。課題文の内容(筆者の主張)を正確に読むことができれば、問いはすべてその内容(主張)と関連しているのだから、ひとつの正解以外はあり得ない。正解がいくつかあるというのは、裏を返せば、それぞれの解答者が正しく読めていない、ということに他ならない。
 以上のことを、東京大学の過去問と複数の解答例(予備校・出版社)を用いて説明した。(相当数が誤答と評されていた。)


■感想及び反省等
「国語教師として我々が生徒に教えたいのは何なのか。単に「機械的に問いを解ける」ようにすることか。そうではない。きちんと文章を読めるようにすることだ。だから解き方を教えるのではなく、読み方を教えなくてはいけない」という講師の考え方に共感を覚えた。
 ただ、全体を読み取ることができない生徒に少しでも点を取らせるためには解き方の指導もせざるを得ない現実もあるので、(この講師の考えは)トップの進学校を除いては「理想論」と評されるかもしれない。
 現代文の授業の原点について考えさせられたが、授業に生かすことは難しい。
by usagi-kani | 2006-08-29 05:43 | 学校・教育