人気ブログランキング | 話題のタグを見る

長いが短い(「嫌われ松子の一生」)

小説で扱われる時間が長年にわたる場合、そのストーリーが重さや現実感を持つためには、それにふさわしいだけの文章の「量」を必要とするのだろう。多くの食事を消化するのに、時間が必要であるように。

「嫌われ松子の一生」(山田宗樹)を読んで、そんなことを思った。

次々に転変する松子の人生を読むことはたやすい。飽きる暇がないのだから。
だが、この軽さ・薄っぺらさは何なのだろうか。「作り物感」が絶えずまとわりついて、ひとつも作品世界に入り込めない。リアルさが全くないのだ。そんな作品が心を動かすことはなかった。

その原因を、私は「文量」の不足だと考える。
文庫本上下巻だから、もちろん「長い」し、「文量」も少なくはないのだが、松子の一生を描くには足りなかった。
次から次に変化が起こるわけだが、それぞれの状態がしっかりと存在する前に次の状態に移ってしまう。現在の状態を「真実」(もちろん現実ではない)として読者に感じさせる時間がないし、そのためのディテールも書き込まれていない。
この話では松子の20歳過ぎから50歳くらいまでの30年間が描かれているのだが、その30年が厚みを持つためにはおそらくこの3倍の長さを要求しているような気がする。
その長さを得て、初めて松子の一生は「真実」(重ねて言うが現実ではない)となって読者の心を動かすのではないだろうか。

残念だが、この「短さ」ゆえにこの小説は長く読まれる名作たり得ないであろう。

       **********

古典を読んでみたくなった。昔の話、という意味での古典ではなくて、名作として評価の確定した作品、と言う意味での。

新しい名作の発見は他の人に任せる。
古典の中に眠る自分のための宝石、それを発見する旅に出よう、と。
by usagi-kani | 2006-08-22 05:00 | 本・ことば | Trackback | Comments(0)