2006年 08月 15日
まだまだ生きたい……肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)さんという医師が、第2次世界大戦後、我が身をなげうってドイツでの医療活動に打ち込み、37歳の若さで亡くなった……
大まかな話は以上のようなことになるが、これでは感動も何もないので、是非元の記事を読んでいただきたい。
感動的な話だと思う。素晴らしい人だと思う。
若い頃の私も、そんな生き方に憧れた。
自分の信念や自分の使命に殉ずるのであれば、若死にしても構わない、と。
カントの哲学が好きだった私は、「良く生きることが大事」と考えていたのだ。長く生きることはいささかも人生の価値を決めるものではない、と。
でも、今はそうは思っていない。
前述の話を読んでの正直な感想は「素晴らしいとは思うけど、俺は37歳で死ぬのはイヤだな」であった。
何歳まで、という明確な区切りがあるわけではないが、ある程度は長生きしたいと願っている。
「良く生きる」のはもちろん大事だけど、「(ある程度)長く生きる」のが前提条件だと思うようになった。
この変化を「生に対する執着」とは思いたくない。
価値観の変化、と考えたい。
若い頃は「どう生きるか」に価値があると思っていた。それは裏返せば、全く価値のない人生もあるということだ。
それが今は、「生命そのもの」に価値があると考えるようになった。
「生命そのもの」が素晴らしい、「生きることそれ自体」が素晴らしい……そう考えるようになったのだ。
この価値観の変化をもたらしたのは何か。
子どもを、家庭を持ったこと?
あるいは、単に歳をとったということ?
原因はどうでもいい。とにかく私の現在の価値観はそういうものだということだ。
美談の主人公にはならなくていい。まだまだ生きたい。
良く生き、なが~く生きたい。でも、すがすがしく死にたいとか・・・
私の場合は子供誕生が大きかったかな。
『孫の顔を見るまでは死ねない』と本気で思っていますから(^.^)
孫の顔を見たら曾孫の顔も見たくなるのが人間かもしれませんよ。
なが~く生きて、死ぬときは寝たきりとかにはならずにコロッと逝きたいものですね。って、まだまだそんな歳じゃないですけど…