日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

恋はコーヒーである、あるいは「K」はなぜ自殺したのか

こんな話を聞いた(読んだ)ことがある。

旅人がある村に立ち寄り、お世話になったお礼にと村人(長老?)にコーヒーをごちそうしようとする。すると、村人はそれを断って言う、「それはきっとおいしいものなのだろう。だが、今後手に入れる手段がない。だから、飲みたいのに飲めないという不満、もっとおいしいものがあるのにそれを口にすることができないという不満を感じながら生きることになってしまう。それなら最初から知らないほうがいい」と。

哲学的な話、ということになるのだろう。
知ってしまったら知らなかった昔には戻れない。
現状に不満を持つことになるのなら知らないほうが幸せなのか。たとえ二度と手にすることはなくても素晴らしいものを経験したほうがいいのか。

生徒たちの場合で言えば、こんなことだろうか。
校外の講習会に参加し、素晴らしく教え方の上手な指導者に教えてもらう。「この先生にずっと教えてもらえたら、自分の力をもっと伸ばせるのではないか」と考えてしまう。その結果、それまで特に不満も覚えていなかった部活動の顧問の指導に素直に従えなくなってしまう……。
部活動に限らず勉強でも同様のことはありそうだ。

さて、私がこのコーヒーの話を聞いたとき連想したのは夏目漱石の「こころ」だった。

「K」にとって恋はコーヒーだったのだな、と思ったのだ。

恋を、たとえ片思いであっても、苦しくとも甘美なあの感情を知ってしまったら、好きな人を想う素晴らしさを知ってしまったら、知らなかった以前には戻れない。
つまり、「K」は「道のためにはすべてを(欲を離れた恋そのものでも)犠牲にすべきもの」というそれまでの生き方を継続することはできなくなってしまったのだ。
自分の生き方を失ってしまった「K」にとって、選べるのは「死」しかなかっただろう。

一度の大勝を忘れられず、ギャンブル沼に落ちていく人。
愛し愛された経験が忘れられず、恋愛ジャンキーとなって自分をボロボロにしてしまう女性。

「一度だけの素晴らしい体験」は果たして「幸せ」なのか。

私は……一度だけであっても経験したいと思う。たとえそのために失うものがあっても

ところで、あなたは?
[PR]
by usagi-kani | 2015-02-16 21:24 | 本・ことば | Comments(0)