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岡嶋二人「クラインの壺」、あるいはブロガーの抱える危険性

かつて、風待ちさんという敬愛するブロガーがいた。
ブログを閉鎖してしまったので、今どうしているかはまったくわからない。
どこかで書いているなら是非読んでみたいが、それを知るすべもない。
それに恐らくもう書いてはいまいという気がする。

その風待ちさんの記事(かコメント)に岡嶋二人著「クラインの壺」が紹介されていたことがあった。
先日図書館に行って、何を借りるか迷っていたとき、ふとそのことを思いだし、借りてきた。

おもしろかった。特に後半は途中で止めることが出来なくなり、2時間くらい一気に読んでしまった。文章がわかりやすい(読みやすい)ので、結構な厚さの本だが、3時間半ほどで読めたと思う。

クラインの壺とは、メビウスの輪の3次元版と考えればいいようだ。作品中では、ホースが例に挙げられている。メビウスの輪が、表がいつの間にか裏になっているように(表と裏が連続しているように)、クラインの壺は、ホースの外側がいつのまにか内側になっている(外側と内側が連続している)。
作品では、壺の外側が現実世界、内側がバーチャルな世界ということになっている。そして、あまりに内側がリアルなため、現実と仮想現実の区別がつかなくなってしまう、という話だ。
確かに、バーチャルリアリティを追求していけば、現実と区別がつかない、どちらが現実でどちらが仮想現実かわからない、という状態に行き着くだろう。
そんな世界を描いているのだが、「怖い」と思った。そこまでのリアリティは必要ないだろうと。でも、科学者はそこまで追求したいと思ってしまうのだろうな。

現実と仮想現実の区別がつかなくなる……これって決してSFの世界や精神疾患の世界でなく、たとえば我われブロガーにも起こりえることだと思う。

こうして記事を書く。だが、それが100%真実なわけではない。話をおもしろくするために「盛って」しまうこともあるだろう。プライバシーの問題等で書けないことがあり、そこを穴埋めするために話を作らざるを得ないといったこともある。炎上を怖れて本音ではなく綺麗事や一般論を自分の意見として書いてしまうこともあり得る。
日記ならともかく、人の目に触れる文章はそんな「嘘」が必ずある。
でも、書いたことで、その嘘が自分にとっての真実になってしまう。書いたことに縛られてしまうのだ。

風待ちさんが消えたのも、あるいはクラインの壺に入ってしまったから(現実の自分とブログの自分の区別がつかなくなったから)ではないか、という気がする。そんな危ういところに身を置いていたからこそ、あんなに魅力的な文章が書けたのではないか。

完全な創作ならそんな心配はない。でも、ブログは半分日記であるだけに、書いた文章に自分が縛られる可能性が多分にある。
心しなければいけないな。

(風待ちさんのブログ閉鎖理由は私の全くの推測です。ご本人の目にとまり不快な思いをされたら謝ります。)
by usagi-kani | 2012-02-05 07:21 | 本・ことば | Trackback | Comments(0)