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日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

実話かどうかを気にすることについて

授業で夏目漱石「こころ」を取り上げた。
生徒たちも結構関心を持って取り組んでくれたようで、それはそれでいいのだが、「これって実話なんですか?」という質問があった。しかも複数の生徒からだ。

この話に限らず、小説に対して「実話なの?」と聞いてくる生徒が必ずいる。冗談みたいな話だが、あの「山月記」でも「実話なの?」の質問があった。おいおい、ゲームで脳がおかしくなってるんじゃないの、とでも言いたいところだったが(笑)。

彼らにとっては、実話かそうでないかが最も大事であって、おもしろいかどうかなどは二の次のようにさえ思える。

なぜそんなに実話かフィクションかを気にするのだろう?

ツイッターやフェイスブックに熱中する現代人を見ていると、「あー、人ってつながりたいんだな」とつくづく思う。つながりたいと思うのは心に孤独を抱えているから。そして、つながる手段が増えているからこそますますつながっていないと孤独を感じるようになっているのだろう。

実話かどうかを気にするのは、もしかしたらそんな「つながりたい」気持ちと同根なのかもしれない。

実話であれば「過去にこんな人がいたんだ」ってだけでもつながりを感じられるんじゃないかな。その延長に自分もいるとか、同じ実存する(実存した)人間なんだとか。
ところが、フィクションだとそれが出来ない。現実であれば(時間や空間を越えても意識の中で)コミットできるけど、非現実じゃ無理。つながれないなら価値はない。
だから、まず現実の話かどうかを気にせずにはいられない。
そんな精神構造になってるんじゃなかろうか。

つながる手段が増えたことで、つながらずにはいられなくなっている。言い方を変えれば、現代人は以前より孤独になっている。

「実話ですか?」が増えるのは、孤独が増えたから……そんなことを考えたのだが、どうだろうか?
by usagi-kani | 2012-02-03 20:13 | 学校・教育