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『カイジ』のほうが上手い

 伊坂幸太郎『グラスホッパー』を読んだ。
 伊坂幸太郎を読むのは久しぶり。はっきり言ってしまえば、そう好きな作家ではない。最初に『死神の精度』を読んで感動したのがきっかけで、その後も何作か読んではいるが、「読んでよかった」と素直に思える小説はなかったような気がする。ただ、彼の作品は(自分が読んだ範囲ではということだが)いずれも「飽きずに」読むことができる。だから、読書をしたいが何を読んでいいかわからない、というときに読むにはもってこいの作家だとも言える。
 さて、今回の『グラスホッパー』だが、おもしろかったか、と尋ねられたら、「メチャクチャおもしろかった!」と答える。加速するように話の中に引きずり込まれて、続きが読みたくて仕方ない、という状態に陥ってしまった。だが、「おもしろい」だけ。後には何も残らない。伊坂作品にはどうもこのような感じ…「軽さ」と言うのだろうか…を覚えてしまう。まあ、楽しく読むことが出来たのだから、「娯楽としての読書」としては最高だったとは言えるのだが。

 ところで、最後の一行。
 これは素直に「急行列車がいつまでも通っている」と受け取っていいのだろうか。それとも、鈴木は押し屋にホームに落とされて、列車に轢かれてしまった、と取るべきなのか。はたまた、自殺屋によって、自分からホームに落ちていった、と取るべきなのか。
 作者はいろいろな受け取り方が出来るようにわざと曖昧に書いているのだろうが、他の読者は、どう受け取っているのだろう。知りたい。何かアンケートでもまとめたものがないだろうか。
 ちなみに、私としては「自殺屋」かな、と思うのだが……。

 印象に残った箇所を引用。

 鈴木は仰向けで押さえつけられたまま、車内の天井を眺める。自分の置かれている状況は認識しているつもりだった。ただ、どれくらい絶望的な状況にあるのかは、把握できていない。
 僕はこの期に及んでまだ、高をくくっている。
 鈴木はそう呆れながら、亡き妻が生前に言っていた台詞を思い出した。テレビに映る、他国での紛争をぼんやりと眺めていたときのことだった。「たぶん、わたしたちってさ、自分の目の前に、敵の兵隊が立ちはだかっても、戦争の実感はわかないかもね」と彼女は言ってから、「今まで世界中で起きた戦争の大半は、みんなが高をくくっているうちに起きたんだと思うよ」と残念そうに肩をすくめた。やはり君の言う通りだ。すっかりその言葉を忘れていた。「世の中の不幸の大半は、誰かが高をくくっていたことが原因なんだってば」その通り。

 危機感のなさ、というか、いざそのことが自身に起こるまで(あるいは起こっても)他人事のように感じている心理……引用の「高をくくっている」……は確かに誰にでもある。これが問題を引き起こすのもその通りだが、そういう「お気楽さ」「おめでたさ」があるから人間は生きていけるという側面もあると思う。
 ただ、この辺の心理解析は『カイジ』の方がはるかに上手いな。
by usagi-kani | 2011-09-09 22:41 | 本・ことば | Trackback | Comments(0)