日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

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今こそ読まれるべき詩

私の前にある鍋とお釜と燃える火と
                         石垣りん

それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあつたもの、

自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだつたり
くろい昆布だつたり
たたきつぶされた魚だつたり

台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であつたのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あつて励むように。

 ***************

授業で唯一扱ったことのある石垣りんの詩である。
もう10年以上も前のことになる。
それ以降この詩を教科書で見かけたことはないが、まだ載せている教科書はあるのだろうか。それともなくなってしまったのか。

なくなってしまっていたら残念だ。
今こそ必要とされる詩だと思うから。

男たちがやってきたこと…社会に出て働くこと…にばかり価値を与え、女たちがやってきたことに価値を認めなかった歴史。それが、少子化や幼児虐待などの社会問題を生み出したのではないか。育児の素晴らしさ、家事の重要性といったものを伝えてこなかった日本の過去。今の日本はその過去に復讐されているように感じる。
女たちがやってきたことの価値を再確認すること、それが今の日本に、そして将来の日本のために最も必要なことではないか。
だから、少しでも多くの高校生に読んでほしいと思うのだが。

授業で扱ったとき生徒に書かせた感想が残っているので、ふたつほど紹介する。

「ずっと昔からなぜ炊事というのが女の役目だったのか、私は不思議でしょうがなかった。しかし、この詩を読んでわかった。それは家族への愛情があったからだ。
 母や祖母、そして私が同じ台所で料理をすることが、なぜか自然と嬉しくなってきた。私はこれでよかったと思う。」

「私の考えはこの詩とは全く違います。今まで女の人がけなげに炊事をしてきたのがなぜなのか、見当がつきません。
 私は何かを誰かの役目だと決めてしまうのは納得できません。
 何事であれ自分ができることをできる範囲ですればいいのです。女だから男だからというのは異性への差別であり、自分への甘えだと思います。」
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by usagi-kani | 2006-09-27 05:19 | 本・ことば | Comments(0)
『ユーモアの鎖国』(石垣りん)を読んだ。

石垣りんとの最初の出会いは(もちろん実際にお会いしたことはないのだが)、「花嫁」という文章(随筆)だった。
一読して好きになった。
その文章が。
その文章に現れた筆者のまなざしが。
そのまなざしの優しさが。

次に会ったのは国語の教科書で、「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を扱ったとき。
「花嫁」を読んだ後、興味を持ったので、少し彼女の作品を読んでいた。その時この詩も読んでいたのだが。

この本は詩も載せてあるが、基本的には散文集である。

読後何が残ったと聞かれても困る。
彼女の気取らない、自然体・等身大のものの見方・語り口が好ましい。そんな感想があるだけ。

でも、それでいい。
そんな「透明さ」が私にとっての石垣りんなのだから。「水」にでもたとえればいいだろうか。
読むことで何かが増えるのではなく、何かが洗い流される……それが私にとっての石垣りん。

手元に1冊、詩集を置いておきたい詩人である。
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by usagi-kani | 2006-02-20 06:17 | 本・ことば | Comments(0)