日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

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図書館で偶然目にとまり、まだ読んでいない東野圭吾作品ということで読んでみた。

感想だが……これは駄作だ。
小説の好き嫌いには個人の好みがあるので、駄作とまで言うのは言い過ぎかも知れないが、少なくとも私には期待はずれだった。
「人間」が描かれていないため登場人物の誰にも感情移入できないし、たいしたトリックがあるわけでもない。

内容を忘れた頃に、もう1回読んでみようなんて思わないために書いておく。
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by usagi-kani | 2012-02-29 05:32 | 本・ことば | Comments(0)
この作品で東野圭吾25周年記念3作品はすべて読了したことになる(他の2作品は『麒麟の翼』と『真夏の方程式』)。

3作品の中では、私はこの『マスカレードホテル』が一番おもしろかった。

何となく「この人が犯人じゃないか」「狙われてるのはこの人じゃないか」というのはわかってしまったが、その予想がひっくり返されるのではないか、あるいは(予想通りだとしても)「どんな理由で?」という期待感から読むのを止めることが出来なかった。
また、そのような「推理小説の楽しみ」以外に、「ホテル小説としての楽しさ」とでも言おうか、客たちの様々な人間模様や、それにホテルマンたちがどう対応するか(立ち向かうか)というのがまた楽しめた。いや、むしろそちらの方がおもしろかったくらいだ。中高校生が読んだら、「ホテルで働きたい」と思うようになるのではないだろうか。それくらい、登場するホテルマンたちは格好良かった。

作品中の一流ホテルマンのプロ意識にも感動したが、これだけのレベルの作品をこの頻度で発表できる東野圭吾は大した「プロ」作家だと改めて感心した。
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by usagi-kani | 2011-11-28 06:02 | 本・ことば | Comments(0)
東野圭吾『真夏の方程式』を読んだ。

最近彼の作品を続けて読んでいるが、それは「いい作品」ばかりだったから。
だが、これを読んで、この辺でやめていいかな、という気になった。

これは私の中では「ハズレ」だ。

新人作家が書いたなら「楽しみな作家が出てきたな」と評価できるレベルではある。決して悪い作品ではない。だが、ここ最近の読書で東野圭吾に対する期待値が上がっていたのだろう、私の期待する水準ではなかった。
そういう意味で「ハズレ」である。

前半はのんびりと読み進めた。
川畑夫妻が自首したあたりから、真実(特に昔の殺人の)が知りたくなって読むのがやめられなくなった。節子か、と思った。それでも一ひねり入っているのに、まさか成美とは! 正直、やられた、と感心するよりも、やり過ぎだろ、と不快感さえ覚えてしまった。

今回の作品の失敗点は、成美の人物像にあるのではないか。一応彼女が「ヒロイン」なのだと思うが、途中までは結構魅力的に描かれていて好印象なのに、真相がわかると、殺人を犯しておきながらあんなふうに明るく生きていたのか、と魅力が全くなくなってしまうのだ。裏切られた思いさえ感じてしまう。
ヒロインに魅力がないんじゃ、作品としてはダメでしょう…。

まあ、もっと彼女の苦悩を描けば、きちんと罪に苦しんでいるということで、それなりに魅力的なヒロインになるのかも知れない。だが、そうなると早い時期から謎があきらかになってしまい、ミステリーとしての面白さがなくなってしまうし。
仕方がないのかな。

そう言えば、ガリレオシリーズは湯川に魅力を感じられないから、私は好きじゃないんだった。
今回の湯川は割と好感が持てるが、脇役がダメだった、ということかな。
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by usagi-kani | 2011-11-05 06:48 | 本・ことば | Comments(0)
少し前の記事に書いたように『赤い指』が非常によかったので、また東野圭吾を読んでみた。

これは……どうなのだろう。
下町の人情が描かれていて、それはそれで「いい話だなぁ~」と思えるのだが、肝心の殺人事件の犯人を追うという緊迫感がスポイルされてしまっている。
人情ものの連作の最後に申し訳程度に事件の謎解きが書かれているという感じで、ミステリーなんだか何なんだかわからない。
親が子をかばうという真相もこれだけ続くと(私が読んだのでは3冊連続!)さすがに食傷気味になる。

ちなみに、上に「下町」と書いたが、舞台の日本橋が本当に「下町」なんだかは私にはわからない。東京に住んだことがないので街の雰囲気もわからないし、そもそも(こう書きながら気づいたのだが)「下町」の定義がわからない。

……今、手元の「旺文社国語辞典」で調べてみたら「下町」の意味は「都会で、海や川に近い低地にある町。主として都会の商工業地区をさす。」とのこと。そう言われてもやはり日本橋が「下町」なのかは私にはわからないが。

読んで損したとまでは言わないが、得したとも思えない。私のよく使う表現を使えば「借りて読むならいいが、買ってまで読むほどではない」って評価かな。
ま、これだけ立て続けに読んでも、「読んで損した」が1冊もないのはさすが東野圭吾というべきだろう。
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by usagi-kani | 2011-10-27 05:45 | 本・ことば | Comments(0)
出張の時間つぶしにと図書館から借りて持って行った。
昼休みが2時間もあったので、休憩時間と併せて1日であらかた読み終えてしまった。

胸が痛い小説だった。

この少年のように子どもを育ててはいけない、と思った。
この父親のように老母を扱ってはいけない、と思った。
だが、それが今の自分に出来ているか、と胸が痛くなったのだ。この父親は自分ではないか。我が家がこの家庭になり得ないとどうして言えようか。

そんな思いを忘れないために、この本は購入して手元に置き、ときどき読み返すべきかも知れない。

震災以降、「すべてのモノはゴミになる。だから本当に必要なモノだけを手元に置いて、あとは「断捨離」すべき。本も自分では買わず借りて済まそう」と考えてきた。実際、震災以降は雑誌を2~3冊買っただけで、本は文庫本を含めて1冊も買ってない。
だから、ある本を、買って手元に置きたい、と思ったのは本当に久しぶりだ。

良書だった。
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by usagi-kani | 2011-10-22 07:04 | 本・ことば | Comments(0)

直躬さんを思い出した

東野圭吾『麒麟の翼』を読んだ。

相変わらず東野圭吾の作品は読みやすい。文章がわかりやすくて中身が素直に頭に入ってくる。

この話を読んで、孔子の「直躬さんの話」を思い出した。身内の犯罪を訴え出るのが正直者か、かばうのが正直者か。
ドラマ「相棒」でも、関係者を不幸にしても(そして誰も幸福にならないのに)右京が真実を明らかにする話がいくつかあった。それを見て「真実を明らかにすることがそんなに大事なのか」と思ったのを思い出した。不幸な真実と、幸福な虚構(嘘)のどちらが上なのか。

少年は自分のやったことを告白したが、それが本当によいことだったのか。被害者の親に「誰かを憎む」気持ちを植え付けることになるのではないか。そうなれば、彼らは子どもが植物状態になった苦しみにプラスして、「加害者を憎む」気持ちという、二重のマイナス感情を抱いて生きていかねばならない。知らなければ、事故として諦めることが出来たのに。自分たちのやったことを隠す「狡さ」が、実は「優しい嘘」でもあった、という見方は出来ないだろうか。

告白してもしなくても、それぞれに後悔と苦悩はつきまとう。
人間のやることに絶対の正解などないのだな、と改めて考えさせられた。

ちなみに、「直躬」さんの話は以下の通り。

〔読み下し〕
葉公(しょうこう)、孔子に語りて日く、吾が党に直躬(ちょっきゅう)なる者有り。
其の父、羊を攘(ぬす)みて、子之を証す。孔子日く、我が党の直(なお)き者は是に異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の中(うち)に在り。

〔通釈〕
葉公が孔子に、「私の町内に正直者の躬さんという者がおりまして、迷い込んで来た羊を父がネコババしたのを見て、証人として訴え出たんですよ」と云った。
これに対して孔子は「私の町内の正直者はそういうことはしません。父は子をかばい子は父をかばう。かばい合う精神の中に正直な心が宿るものなんだ」と云った。
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by usagi-kani | 2011-10-11 21:58 | 本・ことば | Comments(0)
東野圭吾『手紙』を読んだ。

兄が強盗殺人を犯したがゆえに不当な扱いを受け続ける直貴に、勤務先の社長が語る言葉……それがこの小説のすべてだろう。

「差別はね、当然なんだよ」平野社長は静かにいった。
 直貴は目を見張った。差別はしていないという意味のことをいわれると思ったからだ。
「当然……ですか」
「当然だよ」社長はいった。「大抵の人間は、犯罪からは遠いところに身を置いておきたいものだ。犯罪者、特に強盗殺人などという凶悪犯罪を犯した人間とは、間接的にせよ関わり合いにはなりたくないものだ。ちょっとした関係から、おかしなことに巻き込まれないともかぎらないからね。犯罪者やそれに近い人間を排除するというのは、しごくまっとうな行為なんだ。自己防衛本能とでもいえばいいかな」


犯罪者やある種の病気に対する差別……それはおそらく極めて「人間的」なことなのだと思う。
犯罪者や(感染性の)病人に対して、危害を加えられるかも知れない、病気が感染するかも知れない……そんな恐怖心を持ってしまうのは、人間として全く自然なことだと思うからだ。
それはまさに自己防衛本能。人類が生き残るために心の奥深くに植え付けられたプログラムなのであろうし、そのような心理があるからこそ人類は存続し得たのだろう。

もちろん道徳的には「差別」は間違いだ。否定されるべきものだ。

だが、それが(本能として人間に備わっているものという意味で)「人間的」なものだとすれば、「人間らしいあり方」とはいかなるものなのだろうか。

差別を肯定するつもりはない。
だが、それでもふと疑問に思ってしまうことがある。
本能を捨て去ってしまうこと。「道徳」というプログラムに忠実な生き物になること。いわば「ロボット」になること。
それが「人間らしいあり方」なのだろうか、と。
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by usagi-kani | 2007-07-18 04:50 | 本・ことば | Comments(2)