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猫を飼う 9

子猫をもらうなら生後どのくらいがいいのか。いつものごとくインターネットで調べてみた。

結論から言えば、生後2ヶ月を過ぎてから、ということであった。

理由は大きくふたつ。一つは、子猫は母乳を通して免疫を得るので、授乳期に母猫と離すと身体の弱い(例えば風邪を引きやすい)猫になってしまう恐れがあること。二つ目は、子猫は兄弟猫と噛み合ったりすることでその痛みを知って甘噛みを覚えるから、その経験が無いと人間を強く噛むようになる危険性があることである。複数のサイトでこのように説明されていたから、これが現在の定説なのだろう。

私たちがもらう予定の猫は4月22日頃の生まれだから、2ヶ月というと6月20日前後ということになる。まだまだ先だ。


それまでの中間の時期だからというわけでもないが、5月23日に娘と二人で猫を見に行った。

子猫たちは母猫から離れ、ソファーの上の毛布で睡眠中であった。4匹は身体を寄せ合っており、もらう予定の灰色の子猫は少し離れたところで寝ていた。ちょうど生後1ヶ月。前回見たときよりおそらく倍以上の体重になっているはずだが、まだまだ小さい。

前回は母猫が威嚇したため、遠巻きに眺めるだけだったが、今回は母猫がいなかったので(隣のソファーの下にいた)、子猫たちを撫でることができた。細い毛の感触が「こんなにも」と思うほど柔らかく温かかった。娘はどう感じながら撫でているのだろうか。その感触に「愛」や「生命」を感じているのだろうか。

現在の飼い主さんが言う。

「もう餌を普通に食べるよ。」

その口調に、もう引き取ってもらっていいよ、というニュアンスを感じた。

そこで、

「来週のこれくらいの時間にもらいに来ます。」

そういうことにした。


帰りの車内で。

「来週って言ったけど、それだとまだ生後5週にしかならないな。本当は2ヶ月くらいお母さんや兄弟と一緒の方がいいんだって。」

と娘にその理由を話した。

「どうする? もう少し後にしてもらう?」

「それでもいいけど。」

娘の口ぶりからは、そう言いつつもすぐにでも引き取りたい気持ちが伝わってきた。子猫は可愛い。あれほど可愛い生き物を見て、生命の温かさに触れてしまったら、我慢するのは難しいだろう。

「やっぱり来週にするか。」

「うん。」

うなずく娘の声が明るい。

親や兄弟との早すぎる「別れ」が子猫にどんな影響を与えるか。もう少し母猫の元に置いておけばよかったと後悔することになるかも知れない。でも、娘のあんな明るい声を聞いたらこれ以上先延ばしはできない。

「よし、じゃ明日の日曜日にトイレとか買って来ような。」

「うん。」

子猫がやって来ることが具体化してきたことで、心が浮き立ってきた。

「オスかメスか聞いてこなかったから、ジャックかブーケかは来週までわからないな。来週で別れちゃうから、それまで他の兄弟といっぱい遊んでくれるといいな。」

「うん。……あの猫、仲間はずれなのかな。」

「えっ。ああ、一匹だけ離れていたからか。」

「うん。他の4匹はくっついていたのに。」

「子猫なんて眠くなったらそこで寝ちゃうから、離れて寝ているから仲間はずれとは限らないよ。」

「そうか。」

「もしかしてあの猫と自分を重ねたのか。」

娘が黙る。浮かれた気持ちから余計なことを言ってしまったようだ。だが、沈黙したということはおそらく図星なのだろう。だからこそ、すぐにでも引き取りたいのだな。

来週猫を引き取る。その決意を固めた。


# by usagi-kani | 2020-05-25 21:59 | 日記 | Trackback | Comments(0)

猫を飼う 8

初めに言葉ありき。

言葉が生み出したものは何か。

それは「もう一人の自分」である。

言葉のやりとりを対話というが、対話の相手がいない場合がある。つまり、自分が言葉を発し、「もう一人の自分」がそれを受け止める場合だ。それは思考と呼ばれる。思考とは「もう一人の自分」との対話である。それは言葉が生まれたからこそ可能になったものである、おそらく。


猫の鳴き声は言語なのだろうか。だとしたら、猫にも思考があるのだろうか。

確実に言えるのは、猫はこんな面倒なことを考えたりはしないだろうということだ。


猫を飼う人が「もう一人の自分」とではなく「猫」と対話を行うようになったとき、彼の思考にはどんな変化が訪れるのだろう。

まもなく猫を飼う私と娘(の思考)にも変化は起こるのか。そしてそれは二人の関係性にも影響を及ぼすのだろうか。

楽しみでもあり、少し怖くもある。


# by usagi-kani | 2020-05-21 21:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)

猫を飼う 7

猫を飼うつもりだと両親に話したら、翌日には「猫が生まれた家がある」との情報を得てくれた。さすがに長年地元で暮らす老人のネットワークには感嘆すべきものがある。


早速5月の連休に見に行った。

子猫は全部で5匹。三毛が2匹、茶トラが1匹、黒が1匹、灰色が1匹。まだ片目しか目が開いていない猫もいる。後で調べたら遅くても生後2週間くらいで目が開くそうなので、生後10日程度なのだろう。

茶トラか三毛がいいなと思ったが、娘のために飼う(という建前の)猫なので娘にどの猫がいいか尋ねてみた。

「灰色のがいい」

と即答する。

それまでどんな模様の猫が可愛いと思うか散々話していたので、娘も私と同じ選択をすると思っていた。だから意外で「えっ。」と声を出してしまうところだった。灰色はこれまで一度も話題になったことがなかった。

ともあれ、娘の意向を尊重して、その猫をいただきたい旨を伝え、帰路についた。


もらえるのは離乳してからになるだろう。まだまだ先のことだ。休校期間中の娘の淋しさを紛らわすために一刻も早く飼いたい気持ちはあったが、こうなっては仕方がない。


帰宅後あの猫を選んだ理由を尋ねると、「あつまれどうぶつの森」というゲームの好きなキャラクターが灰色の猫だから、と言う。だから、名前も同じくジャックにする、と。

「ジャックは男の名前だよ。メスだったらどうするの?」

「メスでもジャックにする。」

「それはやめよう。将来お前が家を出たら、猫とお父さんだけになるだろう。猫はお前の代わりだから、お前の名前にちなんで『ハナ』とつけたいんだけど。」

娘の名前には「花」という字が使われている。

「だめ、ジャックがいい」

「わかった。でも女の子に男の名前をつけるのもかわいそうだから、少し考えてみてくれよ。」

それきり名前の話は出なくなった。と言うより、猫自体が話題にならなくなった。まだ先とはいえ、灰色の猫がやってくると決まったことで二人とも「猫熱」が下がったのだろう。


娘が再び猫の話題を持ち出したのは3日ほど経った頃だったろうか。

「お父さん、猫の名前だけど」

「なんだ。ジャックはやめることにしたのか」

「ううん、ジャックってつける。でも、女の子だったらブーケはどうかなと思って。」

「ブーケか。うん、いいね。花と関連性もあるし。」

猫のためか、それとも父のためかはわからないが、ずっと考えてくれていたんだなと嬉しくなった。それだけでブーケという名前が素敵に思えた。


# by usagi-kani | 2020-05-20 20:49 | 日記 | Trackback | Comments(0)

猫を飼う 6

小学生くらいの年頃だと外に出て遊びたい気持ちが強いものだと思うが、娘はとにかく家から出たがらない。休みの日は一日中パジャマでいる。ゴールデンウイークとはいえ、新型コロナの感染拡大防止のため遊びに連れ出すこともできない。このままでは家から一歩も外に出ない状態が続いてしまう。

さすがにそれはまずいだろうと思って、休日は近所を三〇分ほど一緒に散歩することにした。

道路の脇は基本的に田畑で、ところどころに家が建っている、そんな田舎道である。道端にはタンポポやヒメオドリコソウが見飽きるほどたくさん咲いている。

だが、風景なんてどうでもよかった。二人で歩きながら、私は猫との出会いを期待していた。子猫が捨てられてはいないか、野良の子猫が歩いていたりはしないか、と。

おそらくそれは娘も同じだったのではないか。猫を飼うと決めたときから、その日が来るのを待ちきれない様子であったから。

しかし、期待したような出会いはない。一匹の猫さえ目にしなかった。

YouTubeに子猫を見つける動画がよくあがってるだろう。あれって仕込んでるんじゃないかと思うんだ。カメラを回してるときに都合よく見つかるなんておかしいよな。」

菜の花の横を歩きながら、日頃抱いていた疑いを話してみる。

「きっとすぐスマホを出して撮ってるんだよ。」

娘はまだ純粋である。


ある日、とうとう猫を目にした。子猫というほど小さくはないが、成猫にしては小柄といった大きさ。人間なら中学生くらいの猫に思えた。

その猫は道路から数メートル離れた休耕畑にいて、我々を一瞥すると林の中に入っていった。

娘が前に出た。猫を追いかけようとしているのだということがわかった。家から出ようともしない娘が林の中に入っていこうとしていることに驚きを覚えた。

「やめな。山の中になんて入っていけないよ。」

「子猫を育てたりしてないかな。」

「こんな山の中に入るのは無理だって。」

娘も多少の未練はあるものの納得してくれたようで、散歩を続けた。


歩きながらこんなことを思った。

夢中で猫を追いかけようとする娘。安全を優先して引き留める私。見えない線の向こう側とこちら側にいるのだな。いつから私はその線のこちら側にきたのだろう。娘にはまだまだ向こう側にいて欲しい。


半分綿毛の飛んだタンポポが道端にあった。


# by usagi-kani | 2020-05-19 23:04 | 日記 | Trackback | Comments(0)

猫を飼う 5

猫を飼うと決めて最初のそして最大の問題は、どこで猫を手に入れるかである。

ペットショップで買うのが最も確実で手っ取り早い方法であろう。しかし、私はその方法を採用しようとは全く思わなかった。野良猫を拾ってくれば「ただ」である。ペットショップの猫が仮に十万円として(実際そのくらいの猫はいくらでもいる)、その差額分の違いがあれば、ペットショップで買うことにも意味はある。だが、私は野良猫もペットショップの猫も違いがない、つまり同じ程度に可愛いとしか思えない。いや、可愛さだけなら野良猫の方が可愛いこともある。どうして可愛くない猫に十万円も払わなければならないのか。まあ、そのお金で猫を探す手間と時間を買ったと考えればいくらか支払うことも妥当ではある。しかし、それは私にとって本当に最後の手段である。

それに、生命を売買することにはどうも抵抗がある。お金で売買される生命は「もの」になってしまう。生命の受け渡しに付随するものはお金でなくて「思い」であるべきだ。そんなふうに思っている。


結局、私が(あるいは私たちが)猫を見つける手段として選んだのは里親募集のウェブサイトであった。


「ジモティー」と「ペットのおうち」というふたつのサイトに白羽の矢を立て、暇があれば更新情報を確認した。

娘は県内の里親募集があるとどんな猫であっても「この猫にしない?」と尋ねてきた。待ちきれないのだ。雄でも雌でも成猫でも老猫でもいいから、一刻も早く猫を迎えたい、そんな思いでいるのが伝わってきた。それだけ娘の淋しさは抜き差しならないものになっていたのだろう。

だが、私は「子猫」にこだわった。成猫では新しい環境に慣れるまで時間がかかる。いや、時間がかかっても慣れてくれればいいが、ずっと慣れないこともあり得る。人間に合わせさせるのではなく猫に合わせるのだ、ということを言う人もいるが、それにも限界がある。無垢な子猫を我が家の色に染めたい。それがお互いの幸せになるだろう。もちろん、子猫の時期が可愛いから、というのが最大の理由であるのことは否めないが。

ウェブサイトの人気も子猫が圧倒的だった。成猫はなかなか里親が見つからないのだろう、半年も前から募集が続いているのが珍しくない。それに対し子猫は閲覧数も問い合わせ数も桁違いだ。私も、もらいに行ける範囲の子猫の募集があるたびに問い合わせをしてみたが、「何件も申し込みが来ているので検討させて欲しい」との返信があればいいほうで、何の音沙汰もないのが当たり前という状態であった。

これではいつ猫を迎えられるかわからない。それはとりもなおさず娘に孤独な時間を継続させることを意味する。成猫ならすぐにでも迎えられる可能性は高い。


それでも「子猫」は譲れなかった。

娘のためと言いつつ、きっと私は自分の夢を叶えようとしていたのだ。

新型コロナが問題になるずっと以前から、私は暇さえあれば子猫のネット動画を観ていた。意識したことはなかったが、画面の中で「ミャーミャー」と可愛い鳴き声を上げ、覚束ない足取りで室内を探検する子猫たちを見て、私は彼らと一緒にいる自分を想像していたのかも知れない。そんな生活を夢見ていたのかも知れない。


結局、私も淋しかったということか。


# by usagi-kani | 2020-05-18 23:28 | 日記 | Trackback | Comments(0)