日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

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もう飽きた…

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。

私は「好きな作家は村上春樹」と公言するほどの彼のファンであるが、この作品を読んでの感想は「またかよ。もうたくさんだ。」というもの。

主人公のキャラも、物語の展開も、登場人物の会話も、既視感ありあり。村上春樹らしいと言えばそうなのだろうが、これまでの作品から部分部分を引っ張ってきて一作にまとめました、みたいな印象を受けた。「ノルウェイの森」と「国境の南、太陽の西」を足して2で割ったような。

その意味で、初めて村上春樹の作品を読むという人には「これが村上春樹か!」とわかりやすくていいのだろうが、彼の作品を読み続けてきた人には私と同様「またかよ」という感が否めないのではないだろうか。

とにかく新しさが全く感じられなかった。

また、クロ(エリ)がなぜ主人公に沙羅を絶対手に入れろと言うのかも不明。二股をかけてる(しかも不倫らしい)女性との結婚なんて普通は勧めない。一体なぜそんな常識外れのことをするのか。

さらに、緑川さんの「死のトークン」も結局なんだったのか。そのあたりを読んでる時は、これがこの物語の中核になるのかと思ったが、途中から全く出てこなくなってしまったし。「回収できなかった伏線」ってやつなのかな。

今回も買わずに図書館から借りたのだが(それで読むのが遅くなったのだが)、正解だった。買って読むほどの価値はない。
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by usagi-kani | 2013-05-23 06:03 | 本・ことば | Comments(0)
芥川龍之介「羅生門」の授業をやっていて驚いたことがある。

「『下人』に『大きな面皰(にきび)』があることから、どのようなことがわかるか」という発問。

以前は(少なくとも前回この教材を扱った3年前までは)「下人が若者だということがわかる」という、こちらが期待した答えがすぐに返ってきたものだった。

今回も当然そうなるものと思っていたのだが……。

返ってきた答えは「下人の栄養状態が悪いということ」「下人が顔を洗うこともできないほど追い詰められていること」というものだった。それも一部の生徒ではなく、複数のクラス(というより私が担当しているすべてのクラス)で、こんな答えが返ってきたのである。

初めて聞いたときは、「どうしてそんな答えが…」と驚いたが、すぐに納得した。

現代の高校生にとって「ニキビは体調が悪かったり、洗顔を怠ると出来るもの」という認識なのだ。「ニキビは青春のシンボル」なんてCMがあったが、「ニキビ」=「若さ」なんてイメージはもはや過去のものになってしまったようだ。

ま、授業では「全体で何を言おうとしているかを考えて部分を読め」と言っているので、「ここは下人の困窮した状況を述べている場面だから、下人が顔も洗えないほど追い詰められていることを表しているはず」と考えてくれたのなら、授業で教えたことがちゃんと伝わっていると喜んでいいのかも知れないが。

なんにしても、時代は変わったな、と実感した出来事だった。

そうそう、「シンボル」と言えば、「……仏像や仏具を打ち砕いて……」の「仏像や仏具」は「モラルや道徳心」の象徴である、つまりここは困窮したあまり人々のモラルが崩壊したということを表している、ということも生徒たちには難しいようだ。説明されると、なるほどという顔をして聞いているが、予習の段階ではまず出来ていない。

現代の子どもたちにとって仏具なんて生活に困ったら真っ先に処分してしまうものなのかも知れない。

反対に絶対に最後まで手放さないのがケータイやスマホなんだろうな。
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by usagi-kani | 2013-05-18 19:18 | 学校・教育 | Comments(0)
国語総合の現代文。
新1年生の最初の教材は、小川洋子さんの随想「人と人が出会う手順」。
高校に入学して、新しい友達と出会って……まさにこの時期に扱う教材としてふさわしいものだと思う。

抜け殻、というささやかな言葉に導かれ、こうして出会った不思議をしみじみと味わった。


筆者は、「誰かと知り合う」こと、を「出会い」とは考えていない。ガイドさんと知り合うのに「抜け殻」は関係していないからだ。ガイドさんと「抜け殻の話で一緒に笑った」からこそ、「抜け殻に導かれた」と言えるのである。つまり、筆者の考える「出会い」とは、単に「知り合う」ことでなく、相手との関係性を構築することなのである。わかりやすく言ってしまえば「相手と親しくなること」が「出会い」なのだ。だからこそ、最後の灯台守研究会についての想像も「…誰かと誰かが出会い」で終わらずに「灯台守の文献を調べたり、各地の灯台を訪ね歩いたりして、絆を深めている様子」にまで及ぶのである。

たまたま同じ学校に入学し、同じクラスに振り分けられた生徒たち。
彼らはまだ真に「出会って」はいない。これから授業や学校行事といった経験を共有することで「出会って」いくのだ。いわば「偶然」の出会いを「必然」に変えていくのである。
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by usagi-kani | 2013-05-17 23:04 | 学校・教育 | Comments(4)