日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

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疲れた…

5月28日(日)・29日(月)とディズニーリゾートへ行った。

まず28日(日)はディズニーシーへ。
雨の予報だったが、朝のうちだけで、着いてからは全く降らず。

10時過ぎに到着。

今回乗ることができたアトラクションは以下の通り。

スカットルのスクーター
フライングフィッシュコースター
海底2万マイル
ビッグシティ・ヴィークル
トランジットスチーマーライン
シンドバッド・セブンヴォヤッジ
キャラバンカルーセル
ワールプール
スカットルのスクーター
海底2万マイル

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(スカットルのスクーターに乗り、上機嫌の子供)

海底2万マイルは1回目はファストパスで。2回目は息子がどうしてももう1回とせがむので並んで。途中で点検があったりしたが、1時間くらいで乗ることができた。

昼食はニューヨークデリというところで食べた。
おいしかった。満足。何よりビールが飲めるのが嬉しい(^o^)

翌日に本命のディズニーランドが控えているので、4時くらいにホテルへ向かう。

そして翌日。
平日だから空いてるだろう、アトラクションを満喫するぞ、と意気込んでゲートへ向かうと……

なに、これ!

とんでもない数の人。みんな仕事や学校はどうしてるんだろう……

8時半くらいに着いて、会場が8時55分。入場できたのは9時15分くらいだろうか。もう入場までで疲れてしまった…。

当然園内も人だらけ。
ポップコーンを買うのに40分も並んだり、もうアホらしくなった。
前日の疲れもあり、2時過ぎに早々と引き上げた。

乗れたのは、

イッツ・ア・スモールワールド
ガジェットのゴーコースター
プーさんのハニーハント
スターツアーズ
ウエスタンリバー鉄道

の5つだけ。ハニーハントに初めて乗れたのはよかったけど。

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(ハニーハントにて。子供も疲れている感じ)

今回の旅行で感じたのは、ここを2日連続で楽しむだけの体力・気力が自分にはもうないな、ということ。子供を抱っこしたりして疲れたのと、人が多くて並んでばかりだったというのもあるだろうが、2日目は早く帰りたい気持ちの方が強かった。

疲れた……そんな感想しかのこらない旅行だった。
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by usagi-kani | 2006-05-31 06:08 | 日記 | Comments(2)
山田詠美「ぼくは勉強ができない」を読んだ。
最初に読んだのは10年前くらいで、たぶん今回が3回目になると思う。

こわい小説だ、と思う。

「どんなに成績が良くても、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ。変な顔をしたりっぱな人物に、でも、きみは女にもてないじゃないか、と呟くのは痛快なことに違いない。」

この小説の紹介等で必ず引用される部分であり、たぶん似たようなことをみんなが思っているのだろうが、「それを言っちゃお終いでしょ」という共通認識があるのか、普通は誰も口にしないことである。それをこうまではっきりと書いてしまうとは……。タブーに挑戦した小説だ、と言ってはちょっと大袈裟だろうか。

大雑把に言ってしまえば、思春期の若者が大人や社会の矛盾・偽善に憤りを感じる、という「ライ麦畑でつかまえて」の延長線上にある作品である。

特に、学校や先生に対しての批判的な記述が多い。
センター試験にも出題された(追試験だったかな)が、これを選んだ出題者は相当勇気のある人だろうな(笑)。

「変な顔(で女にもてない)」はさておき、相手が立派な話・深刻な話をしていても、鼻毛が気になってきちんと聞けないというようなことは珍しくない。
顔はどうしようもないから、せめて鼻毛には気をつけよう(笑)。
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by usagi-kani | 2006-05-27 05:53 | 本・ことば | Comments(2)

部内結婚?

21日は教え子の結婚式に呼ばれた。
新郎新婦とも私が顧問をしていた部活動の部員。卒業後丸7年経っているが、こういうのを部内結婚とでもいうのだろうか。

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(デザートバイキング。遠慮して遅く行ったらあまり残っていなかった…)

招待されていた生徒たちのほとんどとは7年ぶりに会ったのだが、就職して3年も経つとやはりしっかりしてくるものだ。成長を感じた。

「先生って子供としか接しないから、精神年齢低いよね」
他の先生とそんな話をした。
どんなに子供っぽかった生徒でも、民間に5年もいると、並の教員よりずっと大人になってしまう気がする。
相手の「大人度」が自分より高いと感じて、「先生」と呼ばれることが何となく面映ゆいときがある。
嬉しいような、悲しいような……まさにそんな気持ちになる。
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by usagi-kani | 2006-05-24 05:54 | 日記 | Comments(5)

鬼ごっこ

20日の土曜日、息子と二人で白河関の森公園に行った。
ほとんど栃木県との県境で、家からはクルマで1時間弱かかる。そのため、滅多に行けないが、大きいトランポリンや長い滑り台、アスレティック的遊具があり、息子の好きな場所のひとつである。

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(写真はトランポリンで飛び跳ねているところ。あまり躍動感はないな…)

息子はひと通り遊具で遊ぶと……

3人のお兄ちゃんのグループ(兄弟らしい。小6、小4、小2?←身長からの勝手な想像)を見つけ、彼らと行動を共にし始めた。
お兄ちゃんたちがトランポリンで遊びだすと自分もそこへ行き、滑り台へ向かうと後をついて行く、というふうに。

ひとりっ子だから、一緒に遊んでくれる相手が欲しいんだろうな、と思いながら見ていた。
子供は特にちょっと年長の同性の子と遊びたがるものである。お兄さん・お姉さんの真似をしながら成長するようにプログラムされているのだろう、たぶん。

お兄ちゃんグループも、どっかの子供が自分たちの後をついて来ていることに、それが偶然でないことに気づき始めた。
知らないちびっ子に唐突にそんなことをされても素直に受け入れられるはずもなく……「ヘンな子供が付いてきてるぞ。振り切ってやろう」というふうにアスレティック遊具の中を大急ぎで逃げ始めた。
離されまいと懸命に追いかける息子。急ぐあまり、足を踏み外しそう(ハラハラ)。
それでも、お兄ちゃんたちに付いていけるはずもなく、時々完全に引き離されてしまうのだが、そうなると、遊具から降りて地面を走って先回りしたり。
諦めずにずっと追いかけている。

そんな「鬼ごっこ」をちょっと切ない気持ちで見ていた。
お兄ちゃんたちには突然現れた見ず知らずのちびっ子なんて邪魔者でしかないはず。いくら追いかけても友だちになんてなれやしないだろう。

それでも懸命に追いかける息子。

永遠に鬼が代わることのない「鬼ごっこ」。しかも、捕まえたいのは、「誰か」ではなくて「友情」という目に見えないもの。
相手にしてもらえないという現実に気づく前にやめさせたほうがいいのだろうか。自分が受け入れてもらえなかったという経験がトラウマになって、今後友だち作りに臆病になってしまうかもしれないから……。

結論が出せないまま時間が過ぎた。

見えないところに行っていた息子が突然私のところへ戻ってきた。
「ねえ、(公園の)外に出ちゃダメ?」と言う。
公園に隣接して芝生の広場があるのだが、お兄ちゃんたちはそっちへ行ってしまったらしい。ちびっ子につきまとわれてイヤになってしまったのかもしれない。
もう昼時でそろそろ帰ろうと考えてもいたので、「いいよ。でももう帰るよ」と答えて、広場へ向かった。その広場はちょうど公園からの帰り道にあるので、どっちにしてもそこは通ることになるのだ。

公園の出口が間近になったとき。
なんと!先ほどのグループの一番小さい子が広場から走って戻ってきた。
そして息子のところまでくると無言でクルッと向きをかえ、広場の方へ走り出した。息子も後を追って……。
何の言葉もなかったけど、息子を迎えに来たのだということは見て取れた。

走っていくちびっ子二人の白いランニング姿(暑いのでシャツを脱がせて下着のランニングにさせていた。相手の子も同じだった)がまぶしかった。
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by usagi-kani | 2006-05-23 02:32 | 日記 | Comments(0)

失ったものもあったかな

前回の記事(「宝物あるいは幻想」)で、「宝物」と思い込んでいたものが実は「ガラクタ」だった、ということを書いた。
そのことに関連して思い出す歌がある。いや、正確に言えば、書いている途中でその歌が思い浮かんだので、「宝物」「ガラクタ」という表現を使ったのだが。

その歌は、浜崎あゆみの「TO BE」。

好きな歌のひとつである。
特に次の部分は素晴らしいと思う。初めて聴いたときも、そして未だに耳にするたびに、何か「切なさ」のようなものが胸に広がる。


  大きな何かを手に入れながら
  失ったものもあったかな
  今となってはもうわからないよね
  取り戻したところで
  きっと微妙に違っているハズで…


時間を元に戻せない以上、失ったものを取り戻すことはできない。
仮に同じものを手に入れることができたとしても……違って見えてしまう。
自分、が変化してしまっているから。

時間(の経過)とは変化である。
その中で変わらずにいることはできない。
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by usagi-kani | 2006-05-18 05:20 | 本・ことば | Comments(3)
ホームルームの時間に集団読書(全員が同じ本を読む)を実施した。
感想・意見の発表などは行わないが、各自に簡単な感想文を書かせて、それをファイルに綴じ込み、自由に閲覧できるようにする。
様々な読み取り方・視点・価値観の存在を知ること、クラスメイトの意外な一面を発見することが狙いである。

今回の読んだのは「首飾り」というモーパッサンの短編。
私で20分、多くの生徒が30分くらいで読み終えた。

憧れの上流階級の夜会に出席できることになった、下級役人の若い妻。
着ていくドレスは新調したものの、装飾品がない。そこで、ある婦人に首飾りを借りる。
ところが、それを紛失してしまい、同じような品物を探して買って返す。膨大な借金をして。
10年間身を粉にして働き、ようやく借金を返済した彼女は、借りた首飾りが実はイミテーションの安物だったことを知る……そんな話である。

生徒たちの感想で多かったものは
・なくしたことを正直に言えば無駄な苦労をせずに済んだのに
・人生はちょっとしたことで変わってしまう
のふたつだろうか。8割方がこのどちらかに属する感想であった。
特に前者が多かった。「正直に言うことが大事」「嘘はいけない」といった価値観を植え付けられてきたからだろう。

生徒たちの感想の中で印象的だったものを挙げよう。

「貧乏なのに妻をパーティへ行かせようとする旦那の愛は、とてもすばらしいと思った。
そして、10年もかけて2人で借金を返すには、とても努力したと思う。
この夫妻はとても愛し合っていると思う。
この夫妻が、(首飾りが)偽物だったと知ったときは、とてもがっかりしただろう。」(女子)

夫は間違いなく妻を愛しているだろうが、「愛し合っている」となるとどうだろう?
借金を返すという苦労の前では、とにかく働くことで精一杯で愛も何もない、というのが現実だったのではないかという気がする。愛なんて感情が入り込む隙間さえなかったんじゃなかろうか。
でも、夫婦の感情(愛)に目を向けている点は良いと思う。私にはなかった視点。さすが女の子、と言うか、女性の視線はやはりそういったところに向けられるのだろうか。

次は男子の感想。

「正直に首飾りをなくしたことを言えば、10年間苦労せずに済んだのに、と思った。
でも、10年前の夜会までは家で何もしてなかったのに、首飾りをなくしてしまってからはどんな仕事でも一生懸命やり続けたことで、彼女はこれからの人生、どんなことでも頑張れるようになったと思う。
だから、気持ち次第で変われるということを伝えたいんだと思った。」(男子)

今回はこの感想が一番良かった。
この事件がなければ専業主婦としてのほほんと人生を過ごしたであろう女主人公が「どんなことでも頑張れるようになった」と、主人公の「成長」を読み取っている点で秀逸な感想だと思う。これも私にはなかった視点で、ハッとさせられた。
だが、最後の「気持ち次第で変われる」は言い過ぎかも。気持ちで変わったのではなく、状況で変わった(変えられた)のが正解だと思う。
人間は基本的に楽したい生き物。苦労せざるを得ない状況があるから、そうするのである。

生徒たちの感想を読んでみて、それにしてもいろいろな読み取りができる短編だな、と感じた。
多様な読み取り方(=価値観)の存在を生徒に理解させるのが目的だったが、一番勉強になったのは私かもしれない(笑)。

私の感想も述べておく。

女主人公は、偽物を本物と思いこんで苦労を続けるわけだが、これは人生(あるいは若さ)の暗喩であろう。
すなわち、人は(価値のないものを)勝手に価値があると思いこんで、そのためにたいへんな対価を支払うものだ、ということ。あるいは、本人が価値があると思っているものも、他人から見ると価値のないものに過ぎない、ということの。

そして、そのようなこだわり・思いこみ・勘違い……それらを「幻想」と呼びたいが、それは若いときほど多いような気がするのだ。
青春を犠牲にして何かに打ち込む、もちろんその姿は美しいのだが、はたから見ると、あるいは後から冷静に考えてみると、果たしてその対象にそれだけの価値があるのだろうか、と思われることが少なくない。
そして、「幻想」の最たるものが恋愛ではないだろうか。ありふれた石ころを宝石と思い込んで、時間や財産、友人を失い、時には人生そのものを失ったりする。

「幻想」を追い求めて生きる……愚かかもしれない。だが、それが人間の性(さが)だと思う。

自分の「宝物」が「ガラクタ」に過ぎなかったと知ったとき、人はどれほど落胆するのだろう。
それまでの自分を否定することになるのだから、素直に考えれば落胆も大きいはず。
だが、案外そうではないかもしれないという気もする。なぜなら、人間は自分を否定できるほど強くないから、何らかの意味づけを行って自分を正当化してしまうだろうと思うからだ。

あるいはこんなことも言えるだろう。
自分が追い求めた「宝物」が実は「ガラクタ」だったなんてできれば知りたくないこと。
そう考えると、最も幸福なことは「幻想」を持ち続ける、つまり「真実」に気づかないこと、かもしれない。

前出の女子生徒の感想に戻ろう。
「旦那の愛は、とてもすばらしいと思った。」
そう。10年間も一緒に苦労した旦那(夫)の愛は紛れもなく「本物」である。

女主人公は、借金を返すために若く美しい時代を働きずくめ、すっかりやつれてしまった。
しかも、自分が本物と思い込んでいた宝石が「偽物」だったことを知ってしまう。
しかし、彼女は「本物」がすぐ身近にあることに気づくチャンスを得たのである。「夫(の愛)」という宝物が。

彼女がその宝物を発見できたかどうか……
それは書かれていない。
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by usagi-kani | 2006-05-16 05:07 | 本・ことば | Comments(10)

ダンスパーティ

5月8日、我が校の伝統行事である「新入生歓迎ダンスパーティ」が行われた。

新入生と上級生が一緒にフォークダンスを踊り、親睦を深めた(?)後で、最上級生による仮装ダンスの披露となる。

新入生歓迎という本来の趣旨以上に、最上級生が仮装ダンスを楽しむことがメインになってしまっているような気もするが、見ていても楽しいものだから、これでいいのだろう。
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さて、校庭の周りの桜の木の幹に花が咲いているのを発見。
桜はとっくに散ってしまっているのに……。
遅れて咲いた小さな花に、「けなげさ」を感じてパチリ。
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by usagi-kani | 2006-05-11 05:47 | 学校・教育 | Comments(2)

クジラの生き方

現代文の授業。
1年生の最初の教材は「あのクジラのこと」(著者:池澤夏樹)を選んだ。
(ちなみに教科書は大修館書店「国語総合」)

池澤夏樹の父親は福永武彦だったはず。
その福永武彦は私が大学の卒業論文に選んだ小説家である。
だからどうだということもないのだが……。

この随想、最初の1行がものすごく上手い。

クジラに知り合いがいるというのは、ちょっと嬉しいものだ。

この書き出しを読んだとき、「やられた」と感じた。
「えっ、クジラの知り合いってどういうこと?」と絶対に次を読みたくなる。見事に読者を作品に引き込んでしまうわけだ。
多少文章を書く者として(と言ってもこのブログぐらいだが)嫉妬さえ感じてしまう表現である。

内容は、人間もクジラの生き方に学ぼうではないか、というもの。
クジラの生き方……得られたものを喜び、明日を思わず、今日一日を満ち足りたものとして過ごし、生きることは喜びであると肯定する、そんな生き方。

生徒たちの初発の感想を読んだところ、すっかり感化されてしまっているようで、「賛成!」的な感想ばかりだった。

が、果たして人間にクジラの生き方が可能だろうか。

「明日を思わず、今日一日を満ち足りたものとして過ごす」すなわち今日を「目的」とするのがクジラなら、「明日のために今日努力する」すなわち今日を「明日のための手段」にするのが人間。
クジラ的生き方は一見幸せそうだが、今日に満足してしまえば進歩はない。進歩する喜び、というのものもあるはずだが、それを味わうことはできない。
結局どちらが幸せなんてことは言えないのだ。

ただ言えることがあるとすれば。
「人間」とクジラに代表される「自然」の隔たりはあまりに大きい、ということではないだろうか。
もはや歩み寄れないほどに……。
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by usagi-kani | 2006-05-08 06:12 | 学校・教育 | Comments(2)

似顔絵?

子供(5歳7ヶ月)が私の絵を描いてくれた。
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子供の宝物であるデュエルマスターズのカードをラミネート加工してあげたので、そのお礼のつもりで描いてくれたのだろう(そのためにわざわざラミネートの機械も購入した)。
そのカードをとにかく大事にしていていつも持ち歩いているくらいだから、よほど嬉しかったのだと思う。

ついでに過去の作品も。
上が3歳11ヶ月、下が4歳8ヶ月の作品。
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上手くなっているのかどうか判断しかねる(^_^;)

せっかくラミネート機を買ったのだから、こういったものをラミネートして保存しておくのもひとつの手だと思う。
しかしそのためには、今後は写真L判の大きさに描いてもらわないといけないな。(ケチって)そのサイズまでの小型のを買ったので(笑)。
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by usagi-kani | 2006-05-04 05:51 | 日記 | Comments(6)

生きた証

叔父さんが亡くなった。
仕事の都合で告別式には出席できないので、通夜に出向いた。

享年68歳。平均年齢と比べればまだ早い死ということになるのだろうが、私が子供の頃の、40歳前後の印象が強いので、いつの間にかそんなに歳をとっていたんだなとの感慨のほうが強い。

芸術を愛した人だった。
家を新築した折には、好きなクラシック音楽を聴くための部屋をつくったり。
また、詩の創作を行っており、詩集を出していることも聞いていた。

通夜の席で、詩集を頂戴した。
4冊も出していたらしい。
数編を読んでみたが……難解である。散文的な人間である私にはよくわからない。

死んだ後にこのように残るものがあるというのはうらやましい。まさに生きた証だ。

そんなことが通夜振る舞いの席で話題になった。
「(酒を)飲むばっかりじゃ何にも残らないな」「一升瓶で何か作ったら」……そんな冗談に紛れてしまったが、その場に居合わせた全員が考えたのではなかろうか。
自分の生きた証は何だろうか、と。
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by usagi-kani | 2006-05-03 07:13 | 日記 | Comments(0)