2007年 06月 01日
さよなら幼稚園、あるいは初恋の思い出3月19日は息子の卒園式だった。
幼稚園を卒業するまでに成長したということだから、「うれしい日」のはず。
でも、ほとんどの母親が泣いていた。
うれし涙? いや、「別れ」の雰囲気が涙を誘うのだろう。
教室に掲示してあった自画像。1年ほど前からやたらと首の長い人物画を描くようになった。
これはまだ短い方だ。
式後にパチリ。幼稚園での最後の写真。後で横になっている(砂だらけの校庭なのに!)のは一番の友達。
さようなら、幼稚園。
だが、息子にはもう一つの「さようなら」があった。
それは、好きだった女の子がこの日を最後に遠くへ引越してしまうのだ。
おそらくもう会うことはないだろう。
さようなら、幼稚園。
さようなら、初恋。
この日はどちらの「さようならの日」として息子の心に刻まれるのだろうか。
子供の目は未来を見つめる。
だから、どちらもただの通過点として忘れ去られてしまうかもしれない。
* * *
息子の初恋を書いたついでに、自分の初恋も書いてみたい。
こんな「ついで」がなければ、書くこともないだろうから(照)。
小学校4年生のときだった。
相手は色の白い可愛い子。
好きになったきっかけは覚えていないが、外見に惹かれたのだろう。その子の雪のように白い肌を、きれいだなぁと眺めていた記憶がある。触れたいなどとは考えもしなかったが。
「好き」という意識はあった。だが、それを「初恋」として自覚していたのかは思い出せない。後から考えれば初恋だったということであって、当時はその意識はなかったのかも知れない。
この初恋に関する思い出はふたつある。
ひとつは、年末のこと。
年賀状を出すために、親しい級友たちに住所を聞いて回った。
もちろん、最も年賀状を出したかったのは、彼女に、だ。だから、どういう経緯でかは忘れたが、彼女の住所は最初に調べてあって、ノートの一番上に書いてあった。
ある女の子に「住所書いて」とノートを渡したとき、たまたま近くにいた彼女がノートをのぞき込んだ。そして、不思議そうに尋ねた、「どうしてわたしの(住所が)書いてあるの」と。
何も答えられなかった。上手い言い訳なんて思い付くはずもなかった。真っ赤になってうつむくしかなかった。
彼女はどう思ったのだろう。
わからない。少なくとも「この子、わたしのこと好きなのかな」とは思わなかったはずだ。まだ本当に子供だったのだから。30年前の小学生は現代の子供ほどませてはいなかった。
だから、不思議に思っただけで、私の気持ちに気付くことはなかっただろう。間違いなく。
もうひとつ。
体育の時間に私が膝を擦りむいたことがあった。
保健委員と保健室に行って消毒してもらうことになったのだが、保健委員が他ならぬ彼女だった。
保健室には誰もいなかった。
二人きりの保健室。椅子に座った私の足元にひざまずいて治療をしてくれる彼女。
その白い手をドキドキしながら見つめていた。
その後も何度か「ドキドキ」を体験した(はずだ)けれど、最も懐かしくそして切なく思い出す「ドキドキ」はこのときのものだ。静かな保健室に自分の心臓の鼓動が響いているように感じた。そして、おぼろげながら何かしら性的なものを感じていたのだろうとも思う。
以上のふたつが私にとっての初恋の思い出だ。
彼女に対する感情は中学校に入るまで続いた。
中学ではクラスが違って目にすることさえ少なくなり、次第に小さな存在になっていった。
彼女は……可愛い子だからやはり目立ったのだろう、中学校に入って間もなく上級生と付き合いだした。
と言っても、「付き合う」がどうすることなのか、当時の私にはさっぱりわからなかったのだが…。
そんなふうにして私の初恋は終わった。
終わった?
いや、続いていた(いる?)のかもしれない。
それ以降も好きになったのは「色白で小柄」、つまり初恋と同じタイプの女性ばかりだった……。
まあ、好きになるのは、身近でよく話をする人であったりするので、潜在的に刷り込まれた「好み」ってことでしょうが‥
maronさんは?
前の記事とあわせたコメントになりますが、人はブログを通してその人の「人間」(?)をみてるんだと思います。
だから、毎日訪問する人がいるということは、ただ単にブログの内容を見てるんじゃなくてその人自身を心配していることにもつながるとそう思いますよ!
小学生時代、好きな人に年賀状出したいって思いますよね!
もしくは可能性なんてないのに、来ないかな~なんてちょっと期待してみたり(笑)
意外な人から届いているとうれしくなります。
確かに、頻繁に訪問するブログは、書いている人と知り合いになったような気さえしますね。風邪をひいてると記事にあれば、心配したり…。
sattenさんも、いろいろ悩んでいるようで…心配してます。
身体にも精神にも限界があります。
無理しないということも大事です。人生はまだまだ何十年も続くのですから。