日々の出来事、言葉との出会いを綴っていきます。何年後かの自分のために。

by usagi-kani

自分にできること・自分の支え

私には一人分の力しかありませんが、一人分の力にはなれます。
私には全てのことは出来ませんが、何かをすることは出来ます。
全てのことが出来ないからといって、何かをすることまで止めてはいけません。

(エドワード・エベレット・へール)


自分の力の微少さに悲しくなるときがある。
でも、そんな自分でもできることは必ずある。
それをやり遂げることが大事なのだ。

それはあまりにもちっぽけだったり、時には見当違いだったりして、自己満足としか言えないものかもしれない。
でも、その自己満足が唯一の支えになるときもある。ちっぽけな支えのおかげで倒れずに立っていられる。

でも、本当に弱くなったとき、倒れそうになるのを支えてくれるのは、そんな自己満足や自信や自負ではない。(そもそも自信をなくしたから倒れそうになるわけだし。)
普段は鬱陶しくて仕方ない、自分を縛り付ける鎖、鎖、鎖…。案外そんなものが支えになったりする。

逃れたくて仕方がない鎖たち。だが、そこから逃れて立っていられるほどの強さを人間は持っているものだろうか。
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by usagi-kani | 2006-11-28 06:16 | 本・ことば | Comments(8)
Commented by maron415 at 2006-11-28 19:52
年をとればとるほど、いろんな鎖(しがらみ)が見えてきますね。
若いころは、その鎖がいやでした。
でも、その鎖を選んだのは、誰でもない自分自身なんだと思っています。
<案外そんなものが支えになったりする。>そうかもしれませんね。
Commented by honn623 at 2006-11-28 19:54
逃れることはできたとしても、立ち続ける強さは・・・どうでしょう。広すぎる海原で「さあ、好きにおし。どこにでもおゆき」と言われても呆然とするように。
そして逃れても、そこでまた新たな鎖をみつけるのでしょう。
私は鎖から逃れたはずが、今また一緒に住んでいる。
Commented by seilonbenkei at 2006-11-28 20:24
>案外そんなものが支えになったりする。
クリスチャンが聖書を持ち出すとそれだけで「布教ですか?」と敬遠されることが多いのですが・・・。
聖書(マタイ11:29)に、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」というのがあります。
案外「こ」んなものが支えになったりします(笑)
Commented by usagi-kani at 2006-11-28 22:45
maron415さん、自分で選んだ鎖ももちろんありますが、自分で選ぶことも外すこともできない鎖もあります。それらを受け入れることが「自分」を愛することになるのかな、と今思いました(笑)。
Commented by usagi-kani at 2006-11-28 22:48
honn625さん。
自由であり続けることはとてつもない困難なことなのでしょうね。いろんな鎖から逃れ続けたとしても、最後は「自由でなければならない」という鎖に縛られてしまう……そんな結末になるのでしょう。
どうせなら、快適な鎖を見つけましょう。
Commented by usagi-kani at 2006-11-28 22:52
seilonbenkeiさん。
信仰を持つ人は、やはりそれが支えとなるものなのでしょうか。
私は無宗教なので(教会に通った時期もありますが)、よくわかりません。
私なら…支えどころか、かえって、「神よ、なぜ助けてくれないのですか」と自らを苦しめることになりそうです。遠藤周作の「沈黙」じゃないですけど。
Commented by kazemachi-maigo at 2006-11-29 12:07
逃げられないとわかっているのなら、いっそ抱きしめたほうがラクです。
覚悟を決めて受け入れるということです。
私は根性なしですけど(^^;)

森で大きなクマに会い、どうしても逃げられないときどうするかの答えのひとつに、クマに抱きつくというのがあります。
これでクマは、食うことができないというわけなんですが・・・でも引っかかれますよねぇ。
で、そのあとどうするかは・・・?
Commented by usagi-kani at 2006-11-29 21:52 x
kazemachiさん、クマに抱きつくって…それは無理でしょ? 怖くてできないって、そんなこと。食われるくらいなら、こっちから食わしてやる、って精神的に優位に立つってこと? でも意味ないですよね。