2006年 11月 26日
本物おーい、そこのサラリーマン。
あんた、今俺のこと、なんだ、ただの鴨か、って目で見たろ?
そうだよ。俺はただの鴨さ。
それでもあんたにそんな目で見られる筋合いはないね。
なぜなら、俺は本物の鴨だからね。
わかるかい、本物、だよ。
あんたさ、一体どれだけ本物の動物を見たことがあるんだ。
動物園のライオン?象?キリン?
あんなのは嘘さ。偽物さ。
本物のライオンてのは、草原を駆けて、獲物を捕まえて、それを食うんだ。
それが生きるってことさ。
動物園のオリの中で、のんびり歩いて、エサもらって……。
どこにライオンの本当があるっていうのさ。
そいつらと比べたら、俺は本物さ。ちゃんと生きてるぜ。
そりゃ、人間のくれたエサを食べることもあるけど、それは人間がくれたからじゃない。エサがそこにあるから食うだけのことだ。
本物の鴨様を目にしてるんだ、もっと尊敬のまなざしってので見てもいいんじゃないの?
そう言やあ、人間ってのもオリに入ってんだろ?
学校とか会社とか。
シャカイってオリもあるそうだね。なんだい、そりゃ? ひっくり返った会社のことか。
ねえ、あんた。
その首に付けた鎖…ネクタイっての?…それを外したときくらいは本物に戻れるんだろうね。
いや、本物の人間なんて見たことがないような気がしてきたよ。
他の動物の心配しているうちに自分たちが絶滅しちゃったのか。
まあ、俺にはどうでもいいけどね。
オリに戻るまでゆっくり日向ぼっこしていきなよ。せっかくのいい天気だ。
まあ、本人(いや本犬)は、そんなこと考えていないんですがね、
鴨も、他の人生なんて考えないんでしょうね。
せいぜい、考えているのは、この人は、ご飯くれるいい人か、自分を襲う悪い人か…
食べて、寝れて、遊べて、それで満足している犬を見ると
犬と人間どっちが幸せなのかなと考えてしまいます。
まあ、会社というオリにいるのをやめてしまったものの言うことですので…
私は「別に隠し事書いているわけじゃないから、見てもいいんだよ」とは言ってあるけど。
どっちも本物の自分かって言われたら、正直わかりません。
どっちも本物だし、どっちも偽物とも言えそう。
草原を駆けることができなくなれば、獲物を捕まえることができなくなれば、食うことができなくなれば生きようがないですよね。
なんでも自由にしていいよって言われるとすごく不自由ですよね。
なんて考えると、本物の幸せってなんだろうと思える私です。
生きている現実にどう対処するか、があるだけだと思います。まあ、その際に幸せと感じたり、不幸せと感じたりってことがあるんでしょうが。
ただ、私を知る人がこのブログを見てもそう「ズレ」は感じないかな、とも思います。普段はふざけてばかりの男ですので、結構真面目な面もあるんだな、くらいには思われるでしょうが。
本物でも偽物でも、「この自分」で生きていくしかないってことですよね!
99パーセントの不自由と1パーセントの自由…くらいがいいのかもしれません。
でも、実際は前者を選ばざるを得ない。
守らなければならないものもたくさんあるし。
ホンモノの自分、半分くらいかな。
ブログでも実生活でも。
棺おけに入って、ああ、あの出来事はプラスだった、いやこっちはマイナスだったと気づくときの自分が100%ホンモノの自分であればいいと思っています。
>安定のある不自由と不安定ながらの自由とを、天秤にかけたら、私は後者を選びたいです。
おそらく安定のある不自由の状態にあるから、出てくる言葉ではないか、と思います。自由は、不自由だからこそ価値を持つもの、憧れるものになるのではないでしょうか。自由にいれば、たぶん不自由を求めるのでは。
何か自由・不自由について考えると、独身と結婚について考えているような気になります(笑)
世間とコミュニケーションをとっている 全部自分だと思います。
日向ぼっこしたり スイスイ泳げたり もがいたり 闘ってみたり
いろいろです。
不自由に生きているのも自分、自由に生きているのも自分……自分とは「存在」ではなく、「生き方」なのでしょう。