2013年 01月 03日
重松清『タオル』板書ノート主人公の小学5年生というのは、まさに「大人への第一歩を踏み出す」年頃だろう。それまでは無自覚に生きていた。自分で自分の人生を選択することもなかった。だが、そろそろ「世界」に出て行かねばならないことを感じ始めている。つまり、まだ「世界」には居場所がない。少年がお通夜や葬式(まさに大人の世界だ)で感じる居場所のなさは、自分がこれから生きていく「世界」での居場所のなさに他ならない。
納屋のわきに、ほの白いものが見えた。
祖父のタオルだった。
手を伸ばしかけたが、触るのがなんとなく怖くて、中途半端な位置に手を持ち上げたまま、しばらくタオルを見つめた。
中途半端……それが子どもでも大人でもない少年の立場だ。祖父のタオルに触れられないのは「未知のもの」が怖いからだ。「未知」を怖れるのが人間だから。
「未知のもの」……それはおそらく「死」ではなく「生」である。タオルは祖父の「生」を象徴するものだ。まだ「人生を生きていない」少年にとって「生」こそが恐るべき「未知」なのである。
そのタオルを父親が少年に渡すというのも象徴的である。男の子を「大人の世界」に導いてやる、それこそが男親の役割だろうから。