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子供との距離

他のブログでこのような記事を目にした。

子どもには子どもの世界があります。その世界で自分がうまく生きているはずだという誇りがあり、プライドがあります。学校に通っている子どもには、自分は学校生活を首尾よくこなせているというプライドがあります。授業についてゆけず困っているとか、友だちとうまくゆかずにいじめられているとかは、できれば親に知られたくないことであり、秘密にしておきたいことなのです。(小さな哲学~雑想の世界~

まったくその通り。
子供もひとつの人格である。
人間である以上、「(他者に)こう思われたい」「こう見て欲しい」という自我は当然持っている。
たとえ親であってもすべてをありのままに見せたいわけではない。いや、親だからこそ、というべきか。

いじめられているとしても、いじめられている「弱い」自分を知られるくらいなら、いじめが解決しなくてもいい、と親には内緒にする。それも子供のプライド。
いじめが続くのと、解決はする(かもしれない)がいじめの事実を親に知られるのと、そのどちらがつらいか……それは誰にも、おそらく本人にも決められないことだろう。
大人たちはいじめの解決にしか目を向けないだろうが、その影で子供は、「弱さ」を知られてしまった屈辱に心を痛めているかもしれない。あるいは、いじめが(大人が動いたことで)「事実」となってしまったことで、それまでは必死に否定していたかもしれない、自分がいじめられているという「事実」を受け入れざるを得なくなり、心の支えとしてきた「理想としての自分」を全面的に放棄せざるを得なくなるかもしれない。

「子供のことは何でも知っている」と誇らしげに話す保護者がいるが、それは本当は自慢すべきことではない。子供をひとつの人格として見ていないことの証明に過ぎないのだから。

子供と距離を置く……それは子供を生き甲斐にしてきた親たちには極めて困難な寂しいことに違いない。
でも、「子供の自立」や「親の子離れ」のために必要なのは、その寂しさに耐えることなのだろう。
その寂しさに耐えられない、あるいはその勇気を持たないために子離れできない親が増えてきているのはおそらく間違いない。
Commented by enzian at 2006-03-28 20:58
TBありがとうございました。enzianといいます。
こちらの記事は拝読しました。

「愛子への伝言」は、ぼくもたくさんの方に読んでもらいたい文章
だと思いました。それと、ぼくが一番、感銘を受けたのは、
下の記事、「プリンについて、あるいは心の同調」でした。
Commented by usagi-kani at 2006-03-30 05:50
enzianさん、わざわざ訪問してくださって、さらにコメントまでありがとうございます<(_ _)>
これからもときどき覗きに来ていただければ幸いです。
by usagi-kani | 2006-03-28 04:25 | 日記 | Trackback | Comments(2)